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パーソナルスペースと社会性

歩きながら考えたことだけど、前に同じようなことを書いたことがあるかもしれません。

自動車というのは、交通弱者をないがしろにする傾向にあると運転手の顔を見ながら、そんなことを思っていた。
自動車の中の空間は、運転手にとってはパーソナルスペースとなり、何人も寄せ付けないものであると考える。
その反動というべきか、他者へのいたわりが軽薄になる。

阿部謹也氏の本を読むと、個人という概念が日本と欧米では違い、たとえば知り合いが後ろからポンッと肩を叩き「よおー!」なんて声をかけることはないと記されてあった。
自分の身体から数十センチに他人を軽々しく侵入させることはないという。
(つまり、ぎゅうぎゅう詰めの見知らぬ同士の満員電車はありえないということ)
それでいて、親しくなればハグをしあうのだから、欧米人の個人という概念はこういうものなのだなと思い知る。

日本人の場合は、個人よりも世間体というものが支配する。
だから、個人になれていない日本人が自動車という個人を得たとき、うまく他者と渡り合うことができないのではないのかと、僕は考えるのである。

欧米人が持つ個人がいいというわけではなく、個人、世間、どちらも上手に操縦してこそ、より良い生活の構築ができるのではないかと、歩きながらそんなことを考えていたのでありました。
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by masagorotabi | 2013-09-24 22:33 | 雑想 | Comments(0)
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