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信頼社会

「日本の『安心』はなぜ、消えたのか」(山岸俊男著)を読む

いじめに関しては、昔の村八分のような規律を守らない人たちには、そういった行為は必要悪であり、現在の無差別ないじめと一緒にして考えることはナンセンスと説く。
学校のいじめでは、傍観者が多いと陰湿になり、逆に少ないと沈静化するそうです。
この辺りが、いじめをなくすカギ。

日本人らしさとはなんなのか?
戦国時代は、主君に忠誠するよりも、いかに自分をアピールして出世するかでアメリカ型の社会であった。
日本にも、このような社会があったのです。
(つまり本能寺の変、小早川秀秋の寝返りなどは、その当時は極当たり前の出来事ということになるのだろう)

武士道の世界では、共存共栄は臨めず、お説教(武士道)よりも、商人道によって信頼社会を築くことを主眼にした方がよいと信じて疑わないとあります。
伊丹十三監督の「スーパーの女」という映画を思い出しました。
パートかなんかで働く主人公の女性が、スーパーを改革していくという話です。
そのスーパーで働く従業員は、その店で買い物をしないで他で買います。
自分の働く店が、どのようなことをしているかを知っているので、そういう行動になるのですが、主人公は徐々に他の従業員と共に信頼のおけるお店にしていきます。
そして、「正直」「信頼」によって、みんなが自分の店で買い物をすることが出来るようなお店に変貌していきます。
著者がいいたかったことは、この映画で描かれていることなんではと思いました。
何だか「スーパーの女」が見たくなってきたぞ!

追記
この著作のコンセプトは、安全社会から信頼社会へということになると思うのだけど、安全社会とはムラ社会ということなのだろう。
そこで暮らせば規則はあるけど助け合って生活ができる、ある意味安全で暮らしやすい。
現代は、グローバル社会になり生活自体も変わってくる。
いかに他者と信頼関係を築いていくのが問題となってくるのであろう。

空気を読むということ自体は安全社会での仕草なので、信頼社会では馴染まない。
空気を読む若者に、著者は憂いています。

あと特に面白かった記事は、友好的な人はそうではない人よりも、他人の善悪を判別する能力が高いという記述です。
疑心暗鬼に他人に接する人よりも、世の中を鮮明な目で眺めることができるのであろう。
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by masagorotabi | 2014-07-23 22:00 | 読書日記 | Comments(0)
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