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宮本武蔵 2

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ちょっと武蔵に関して調べてみると、幼名は弁之助で武蔵坊弁慶からとったそうです。(武蔵も同じく)
大事な試合にはよく遅れてきたそうですが、この時代の試合というのは生きるか死ぬかのもんだったので、現代の尺度で比べるのはナンセンスということでしょう。

巌流島の決闘では、遅れてきたという話もありますが、実は時刻は守っていたという説もあります。
敗れた小次郎のとどめを刺さず、恵まれた環境、才能に嫉妬した味方がとどめを刺したという説もあるそうです。

小説は小説として楽しめばいいでしょうし、史実をふまえて武蔵像を自分なりに想像するのも楽しいかもしれません。
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by masagorotabi | 2016-02-20 19:02 | 落描き | Comments(0)
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