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1937

「1937(イクミナ)」(辺見庸著)を読む

1937年に南京大虐殺がありました。
著者の父親も、中国で兵隊と出され、戦争が終わり日本へ帰国しました。
中国で何があったかは語らず、著者は父親を通して南京で何があったかを探ります。

「時間(堀田善衛著)」(中国人を通して南京で起きたことが語られています)を下地に、日本軍はいったい何をしたのかが記されています。

映画監督の小津安二郎も中国へ兵隊として渡っていますが、1939年の談話で「かうした支那兵を見ていると、少しも人間と思えなってくる。どこへ行ってもいる虫けらもようだ。人間に価値を認めなくなって、ただ、小癪に反抗する敵ーいや、物位に見え、いくら射殺しても、平気になる」と語っています。

父親に対しても小津に対しても著者は、殺(や)ったのか殺(や)らなかったのか、おそらく殺(や)ったであろうという感想を持ちます。

南京虐殺に関しては資料が少なく、中国側の発表では30〜40万人が殺されたとなっていますが、これは無理がある人数であると言えます。

ただ、捕虜1万人をみな殺したとか、母子にに性交渉をさせ、その後に焼き殺してしまうという記述を読むと、日本軍が犯したことの重要性は計り知れないと思います。
こうしたことを犯した人たちが、戦後日本に還ってきて口をつぐみ普通の人間として生活をしてきたのです。

当時の日本軍では、新兵に対する陰湿ないじめや暴力が日常茶飯事に行なわれ、上官の命令に背けなかったことが、こうした悲劇的な行為に向かったのかもしれません。

戦争とはこういうものだということかもしれませんが(どこの国も強姦、虐奪行為は当たり前)、人間の本質的な狂気というものを認識することが、戦争という行為をなくすことができないのではないかと思います。
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by masagorotabi | 2016-06-02 19:38 | 読書日記 | Comments(0)
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