<< 雑草 若者 >>

なぜ私たちは差別をするのか?

「差別の民俗学」(赤松啓介著)を読む

警察の留置場や刑務所へ行くのをすすめることもないが、娑婆ではわからないこともわかってくる。たとえば、スリ、泥棒、オカマなどの世界でも、あらゆる隙を見つけては差別を作っていた。「人の上に人をつくらず」というのは上向きの人間がいうことで、しもじもの者は、「人の下に人をつくる」ために一生懸命に努力している構造はなんとも無惨なことではないか。少しでも表層へ浮上する為には、その下に踏み込んでおいて支えにする材料がなければならない。それをしなかったら、自身が踏み埋められて、他人の支えに使われる。」(P43)

だれも生まれながらにして犯罪者である人はなく、ほとんど後天的な環境であるといえる。たとえ少数の先天的素質がある人があるとしても、それは精神的病理の問題というべきであろう。私たちは犯罪者を笑う資格はないし、その責任を糾弾されるとすれば、こうした社会の存在を見過ごしている私たち自身であった。私は警察がいうほど暴力団、暴走族などを非難する気はない。暴力団に脅かされるのはイヤであるし、暴走族にハネとばされるのも好きではない。しかし、根源的には、我々自身の責任だという認識がある。」(P116)

やっと巡り会えたなあという言葉です。
柳田民俗学に対しては、差別や階層の存在を認めていないことだと記しています。


[PR]
by masagorotabi | 2016-09-30 20:28 | 読書日記 | Comments(0)
<< 雑草 若者 >>