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女装

「女装をして、一年間暮らしてみました。」(クリスチャン・ザイデル著)を読む

男の中にも、女性的な部分があるそうで、著者は試しに女装をするのではなくて、女性的な部分が女装という衝動にかられました。

女として男を眺めてみると、ファッション、行動について男は常に武装して自由さを感じられないという思いを抱くに至ったそうです。

女装を通じて思ったことは、「普通」が絶対的な基準となり、それにそぐわないものに対しては攻撃を始め、全体主義という状態に「普通」がおとしめてしまうことを懸念します。

男にしろ女にしろ、多少は異性の感性というものを持っているのだから、女装をしたり男装をしたりして相手の立場を分かり合うことも必要なことなのかもしれません。
(ただ、無理解で離れていった友人たちがいたそうですが)

尾木ママさんは、女性言葉を使うことで、相手に伝わりやすいからと語っていたのを見たことがありますが、男がそういった言葉を使うことでそういう面があるのだろうと思います。

オカマバーというのは一度も行ったことがありませんが、ああいった人たちは男という生き物を一番理解しているひとたちなんだろうなと思います。

余談ですが、山田太一脚本のドラマで、結婚相手の両親(岸部一徳さんと風間杜夫さん)が共に同じ女装クラブの会員であったという展開のものがありましたが、この本を読んで女装をするという行為は「変」なことではなくて、「普通」の出来事なのだろうと思いました。
山田太一さんは、そのことを一番理解していた方なんだろう。(今頃気づく私はバカだ!)
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by masagorotabi | 2016-11-01 20:07 | 読書日記 | Comments(0)
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