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ブナの実はそれでも虹を見る

「ブナの実はそれでも虹を見る」(丸山健二著)を読む

店でブナのみを見つけ、それを庭に埋め、育成を見守り人間の根源というものを見出していきます。
著者自身よりも長生きする生き物に対する崇拝、尊厳、それは我々自身へ向けられた行為のような気もします。

帯には「どうして私たちは生きているだけで楽しいと思えるような生き物ではないのだろう。」とあります。その答えは僕なりにこの本の中で発見しました。

数羽のインコを飼っているが、かれらもまた生きるための地味な基本に忠実で、けっしてそこから逸脱することがない。羽づくろい、沐浴、くちばしの手入れ、早寝早起き等などを生命保持の必須営為として片時も怠らず、それは習慣というよりも本能にしっかりと組み込まれた必然となっている。
愚直なまでにやるべきことをやりつづける日々がかれらの自由闊達な生を維持し、命に伸びやかな曲線を与えている。

けれども人間だけが命に直結するやるべきことをやりたがらないのだ。理屈では充分過ぎるとわかっていながら、それを避けたがる。
あげくに、当然の報いとして大小の悲劇に見舞われ、窮地に立たされ、万事休すの状態に追い込まれると、世間に向かって大げさに嘆いてみせたりする。
世間もまた世間で、そういう者を人間味溢れる存在として温かい目で見てやり、好ましい人物として受け入れる。
もしかすると、大半の人々は死にたがっているのかもしれない。
」(本文よりP101〜102)

インコの羽づくろいもそうですが、ネコもまた毛づくろいを怠りません。
その行為は、著者が語るように本能にも似た行為で、我々をも和ませ楽しませてくれる。
ひとが生きるということは、こうしたことなんだろうなと思う。

著者は、大半の人は死にたがっていると書いているが、逆も真なりで大半のひとは殺したがっているともいえる。
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by masagorotabi | 2017-06-17 20:16 | 読書日記 | Comments(0)
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