カテゴリ:読書日記( 257 )

孤独の科学

「孤独の科学(人はなぜ寂しくなるのか)」を読む

社会生活を営んでいる中で、孤独というのが人間にとってあまりよい事象ではないということは感覚で分かっていると思います。
そうした感覚を文字で起し、我々に伝えてくれる書物です。

孤独感があると病気になりやすくなったり、人に依存したり、無意識の中で自分の何かが蝕んでいきます。
無意識を意識知ることによって、その問題を解消していくということがこうした本の役割なのかなあと思ったりします。

アメリカの調査で信頼できる人がどのくらいいるかというのがあり、1985年では3人というのが一番多い比率で、2005年では0人というのが一番多かったそうです。
1割はうつ病のような精神疾患を抱えている人がいるそうですが、文明国家という陰にはこうした問題が澱のように積み重なっていくのだろう。

社会とどのように関わっていくかが、孤独感から解放される手段だと思うが、そうなってくると誰かのためにというよりも、自分のために何か行動を起こすということが大事なのだろう。
ボランティアをする人は多いと思うが、そのような人たちは他人の為にというよりも自分の為にというのが比重が多いと思われる。

自分の為ならば、かっこつけることも見返りを求めることもないのだから・・・
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by masagorotabi | 2017-05-23 22:26 | 読書日記 | Comments(0)

自己責任

『自己責任(いま明かす「イラク拘束」と「ニッポン」)』(今井紀明著)を読む

3人がイラクで拘束されてから、もう15年くらいの歳月が流れるのだなと時の早さに驚くとともに、その間、日本人人質が無惨にも殺されてしまうという出来事がありました。

物事を知るということがいかに大切なことか、彼等の行動で知ることができます。
裏を返せば、こうした情報社会でも物事の本質さえ知ろうとしない、あるいは知らないことだらけだと、そんなことを思う昨今です。

そして、知らないからこそその人たちを我々は叩いてしまう。
今思うと凄まじいほどのバッシングを著者含め3人はその渦中にさらされてしまいました。

本来ならば、人質事件が起きた場合は政府に任せておけば良い。
その処理が適切かどうかを国民がチェックすれば良い。
そんな風に思います。

古くは堀江謙一氏の太平洋単独ヨット横断でしたが、日本では罪人、アメリカでは英雄、そんなとらえ方でした。
法は犯してはならない、でも万能ではない。
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by masagorotabi | 2017-05-18 22:24 | 読書日記 | Comments(0)

お客様

「お客様がやかましい」            (森真一著)
「イライラしない本(ネガティブ感情の整理法)」(斉藤孝著)を読む

お客様がエラくなってしまった時代ではあるが、店員もまたプライドを持ち合わせている人が少ないので、逆に客を見下す行為にでるという。
こうした店員を生み出してしまったのも、「お客様」という図式らしい。

坂東玉三郎さんの逸話では、悲劇を観劇した観客は、帰り道どこか清々しさを感じるという。
他人の不幸は蜜の味ではないが、人間にはそういった面があるらしい。

このくらいならまだよいが、イジメのように自ら悲劇を生み出し、それを楽しむという下劣な行為も人間の隠れた感情の中にあるのだろう。
イジメがなくらないというのも、こんなところかもしれない。

他人のことよりまず自分、他人のどうでもよい部分には関心を示さず、自分を大切にすることが大切なことだと日頃から思っている。
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by masagorotabi | 2017-05-05 10:44 | 読書日記 | Comments(0)

ドキュメンタリー

「ドキュメンタリーは嘘をつく」(森達也著)を読む

鳥インフルエンザが日本で発生した時に、マスコミなどに追いつめられた老夫婦が自殺してしまった事件がありました。
こういったことは表にはでないけれども、数多くあると記されています。

マスコミ=民衆であると私は思っていますが、そうなると我々はみな殺人を犯しているということになる。
STAP細胞の時もそうでしたが、容赦なく我々はひとを追いつめてしまう。
それでいて加害者意識というものがまるでない。

だからこそドキュメンタリーというのが必要で、戦場カメラマンが必要で、我々が踏み込めない真実というものを提供させてくれる媒体なのである。
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by masagorotabi | 2017-04-08 20:01 | 読書日記 | Comments(0)

場の消失

「日本の難題」(宮台真司著)を読む

野球のうんちくを語る場所というものが、現代の社会にはない。
そのはしりは、1980年初頭に現れた「新人類」であると著者は記す。

ただ、野球のWBCやサッカーのワールドカップのようなものには、かろうじてそういった場が存在している気がします。

商店街やデパートが消え、ますます日本社会には場というものがなくなりつつある。

話は変わりますが、自殺率の低い土地を訪ねたという内容の本があって(読んでいませんが)、その場所の人間関係は濃密ではなく、他人のことには深入りしないというそんな不文律のある土地だったそうです。
賞味期限を神経質に気にするような人は少なく、おおらかな人が多いそんな逸話が書かれているそうです。

人間が生活するには、疎遠ではなく親密でもない、そんな関係性が必要なのかもしれません。
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by masagorotabi | 2017-03-31 19:54 | 読書日記 | Comments(0)

幸せの条件

「幸せの条件」(誉田哲也著)を読む

OLが社命で、バイオエタノール用の米を作れる農家を捜しに行くというお話です。

この中に、自給率の話が出てくるのですが、仮に外国から食物が入ってこなくても、この国の人は餓死はしないという話は面白いです。
3分の1は生ゴミとして捨てていますし、カロリーの少ない野菜は自給率に反映していないという話は、数字のまやかしに騙されてはいけないと感じました。

国の借金(正しくは政府の借金)にしろ、なぜに為政者というのは正しい情報というものを出さないのか不思議です。
まったく小賢しい手法というもので、国民を騙しているのかとさえ思ってしまいます。

ひとは何をもって幸せを感じるのか.そんなことを考えさせられました。
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by masagorotabi | 2017-03-15 20:33 | 読書日記 | Comments(0)

東京の昔

「東京の昔」(吉田健一著)をたまに読んだりしますが、著者の文章は頭の中に入ってこないので難儀しています。

物語小説ではなく、登場人物の会話だけが綴ってあるだけなのですが、その中で自転車屋の勘さんという人物がいます。
ブレーキを自ら開発したりしていますが、これで思い出したのですが、戦後、オートバイのメーカーが100以上もあったそうです。
自転車のメーカーもそれに類するほどの数があったろうと憶測しますが、貧乏な時代にも関わらず活気のあった雰囲気が漂っていたのだろうなと思います。

そんなわけで、この本にもそんな雰囲気があって、なかなか文章が頭に入ってこなくてもたまに手にしてしまうのである。
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by masagorotabi | 2017-03-11 20:37 | 読書日記 | Comments(0)

教養

「まもとな人」(養老孟司著)を読む

「ひとの心がわかるのが教養」という文章がありました。

「アンダーグラウンド」(村上春樹著)の文書も引用されていて、オウム事件の時に関わった人たちのインタビューが載っている本ですが、その中の駅員の話で、こうした事件が起こる予兆みたいなものを感じるかという質問に、掃除をしている最中に煙草の吸い殻を捨てる人たちを指して、びっくりするようなことではなかったと話されていたといいます。

社会の空気がオウムのような事件を引き起こしてしまうのなら、人ひとりが教養を身につけることが第一なのだろう。
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by masagorotabi | 2017-03-08 20:45 | 読書日記 | Comments(0)

仮釈放

「仮釈放」(吉村昭著)を読む
(ネタバレありなので、お気をつけ下さい)

妻の不貞で殺人を犯し、無期懲役を言い渡された元高校教師が仮釈放されるところから始まります。

あくまでも仮釈放なので、保護司の監視のもとで暮らすことになります。
そうしたメリットは、就職の世話を受けられるというのがありますが、デメリット(?)として恩赦がなければ一生保護司の監視させられることになります。
(恩赦を受けられるのは難しいとあります。)

他人には、刑務所に入っていたことがバレないように暮らし、いつもオドオドと生活を余儀なくされるというのは、大変なストレスなのだろう。
だけど、そういった人たちを受け入れる保護司や会社もあるので、まんざらではない部分もあります。

保護司の紹介で、再婚をすることになりますが、仮釈放という束縛された(旅行も自由にできない)生活に妻もストレスを抱えてしまい、元高校教師はその妻までも殺してしまいます。

救いようのない話ですが、こうした暗部は誰もが持っていると思うし、現代社会でもパワハラ、イジメなどは、個人レベルでも多発している状態です。
人間を知るという意味でも、読了感はそれほど良いと思いませんが、こうした小説の意義はあると思います。
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by masagorotabi | 2017-03-04 19:45 | 読書日記 | Comments(0)

死刑の基準

「死刑の基準『永山裁判」が残したもの」(堀川恵子著)を読む

冒頭に光市母子殺人事件のことが書かれていて、その犯人が死刑判決が出された時に周りでは拍手と喝采として迎えられてことに、著者は戦慄をおぼえます。
少年法が適用されるかどうかの事件でしたが、その先駆けとして永山則夫の連続射殺事件があります。
当時、永山の年齢は19歳と数ヶ月でした。

極貧の中で育ち、父親はギャンブル狂いで暴力を振るい、そんな中で育ちました。
しかし、当時はみな極貧の中にあり、こうしたことが原因で事件を起こしたことに関しては、情状酌量の余地はないとされ死刑判決がおりました。

永山は刑務所(?)の中で、難解な哲学書を貪るように読み、「無知の涙」という本を出版します。(私も読んだことがありますが、難しい文章だなと思いました。)
小説なども出版して、印税などは遺族に渡しました。(受け取らない遺族もいたと思います。)

著者は1万5千通もの永山の手紙を読み、母子殺人事件の犯人にもインタビューしています。
その犯人から「生きていたい」という言葉を引き出しますが、永山もまた死刑が行なわれる時に「殺されてなるものか」と叫んで抵抗したといいます。

個人的には、この言葉には違和感を感じてしまいましたが、生きるということは彼等にとっては贖罪だったのかもしれません。
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by masagorotabi | 2017-02-28 20:48 | 読書日記 | Comments(0)