カテゴリ:読書日記( 278 )

土光敏夫

「清貧と復興 土光敏夫の100の言葉」(出町譲著)を読む

印象に残っている文章は、息子さんの「家では無口で、夕食後は就寝するまで書斎にこもり本を読んでいた」という言葉でした。

お金と名誉があれば、周りの人たちはちやほやしてくれるけど、そういったものが無くなった時は人は去っていく、そのことを人間はよく知っているから、そいったものに死ぬまで固執してしまう。

土光さんという人は、そうしたことに固執することなく、無欲で国を豊かにするために尽力されました。
いくつになっても勤勉は必要だ。
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by masagorotabi | 2017-07-28 22:25 | 読書日記 | Comments(0)

黒澤明

「日本映画の巨人 黒澤明」を読む

黒澤明に関する本は数冊は読んでいるのである程度の知識はあるつもりですが、映画監督を熱望していたわけではないという話は初耳でした。
絵描きとして立身出世を考えていたそうですが、頭打ちと考え、たまたま映画監督の募集を見て応募したそうです。
運命というのは面白いものですね。

私自身は黒澤映画というのはそれほど見ている訳ではないですが、その理由としていい映画は映画館で見るべきだと思っているからです。
名画座で見ることが出来たら行ってみたいですね。

最近、勝新太郎の記事があって、「影武者」を降板になった理由として、黒澤明の嫉妬という話がありました。
黒澤明を差し置いて、他の役者が勝新太郎に挨拶に行ったことへの嫉妬ということで、勝新太郎がそのようにマネージャー(?)に語っていたそうです。

ちょっとこれは考えられないかなあ。

黒澤映画のファンですが、映画を通じて人間という生き物がよくわかるというのが好きな理由かな。
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by masagorotabi | 2017-07-26 22:29 | 読書日記 | Comments(0)

高見順日記

「高見順日記」を読む

図書館で借りてきたんですが、戦争中の日記を読んで、戦争を雰囲気を知りたくて読み始めました。
文学の話も多いのですが、今まで知りえなかった戦争のことを知ることができる本であると思います。

著作権は切れているので、ネットで少し読むことができます。
こちらのサイトで(http://www.tanken.com/takami/index.html

青空文庫で「如何なる星の下で」という小説も無料で読むことができましたので、そちらも平行して読んでいるところです。
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by masagorotabi | 2017-07-18 21:12 | 読書日記 | Comments(0)

日本語

「日本人も悩む日本語」(加藤広重著)を読む

「驚く」という言葉は、古代日本語では「目覚める」として使われていたそうです。(例、「朝、驚いた」)
「憮然」という言葉は、本来は「表情を失うさま」であって、不機嫌ではないそうです。
「ご逝去されました」は間違いで、正しくは「逝去されました」だそうです。

「ご苦労様」という言葉は、目上の人には使ってはいけないと、バカにされたくないと強く思う日本人には浸透されていますが、江戸の武家や商家ではあたりまえに「ご苦労さまでございました」と目上の人にも使われていたそうです。
近代になっても山の手地域では使われていたそうですが、「お疲れさま」と差別化され、現在では目上の人には使ってはいけないとなったそうですが、こうしたことは気持ちの問題でどうでもいいという気がします。

漢字に意味があるように、言葉にも意味があって、それも時代と共に変換していきます。
それは悪いことではないかもしれませんが、本来の意味(これを知恵と言い換えることもできますが)を踏まえてから変えていくという経緯をとることも必要かなと思います。

それにしても日本語というのは面白い。
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by masagorotabi | 2017-07-17 21:15 | 読書日記 | Comments(0)

超常現象

「超常現象を本気で科学する」(石川幹人著)を読む

前にも同じような本を読んだのですが、著者の視点は「幽霊は役に立つか」ということ。(著者は幽霊は錯覚という立場)
高い壷を買わせられるのはアウトだけど、ひとが見ていない所で悪いことをしてもお天道様はちゃんと見ていると諭すのは、セーフということですね。

見知らぬ人を怖がるということは、原始の時代では見知らぬ人=縄張りを奪いに来た人だからだそうです。(だから壁のシミが人間の顔に見えてしまう)

人間は「原因を捜す」のが好きで「偶然」を嫌い、偶然を求める心理傾向がお守りなどへの固執となる。
お守りが効いたようにみえるのは、錯覚であるというのが著者の考え方です。

人間の無意識について・・
創造的アイデアが思いつく場所は、英語圏では3Bと言われ、ベットの中(Bed)、浴室やトイレの中(Bath)、通勤途上でバスに乗っている時(Bus)といわれているそうです。
アイデアは何もせずに訪れるものではなく、根源的固執という他人にどう思われようと我関せずという中で進行し、思わぬ時に意識上に浮かんでくる。(これをセレンディビティと呼ぶ。)

我々の生活は無意識というのを蔑ろにしすぎているのではと思えてしまいます。
本来、「愛している」といいう言葉は、無意識の中だけに存在し、その言葉を口に出したことにより、男女のいざこざがはじまったのではないかと思ったりするとなかなか面白い。(笑)
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by masagorotabi | 2017-07-07 23:14 | 読書日記 | Comments(0)

日本人はなざ足下を見られるのか?

「日本人はなざ足下を見られるのか?」(杉江弘著)を読む

著者は、日本航空機長として公私で50カ国以上に足を踏み入れ、比較して日本の姿をあぶり出しています。

自動車運転については、日本人は上手くないとし、理由として欧米人は狩猟民族だったため、動体視力が発達していると記します。
日本人の気質として、臨機応変に対応できないという点も運転にはマイナスとのこと。
(交差点でも、自動車が来なければ歩行者は欧米では渡ってしまう。)
臨機応変ができないという点が、煽りにつながっているのかもしれません。

「いじめ」は日本の独特の文化とあります。
外国の場合は、いじめではなく差別なんでしょうね。
日本の場合は「世間」という独特の世界観があるから、他人を常に意識し、目立つものは世間という世界で陰湿に叩くという方法をとるのでしょう。

他に、米国以外ではチップは不要とあります。
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by masagorotabi | 2017-07-01 15:07 | 読書日記 | Comments(0)

君が世界を・・

「君が世界を見捨てても世界が君を見捨てない」(瀬戸しおり著)を読む

父親のDV、中学3年の時の暴力教師、ひきこもり、自殺未遂、援助交際、AV出演・・こうした生活を経て23歳で行政書士として起業します。

ここまで赤裸々に書いてもいいのだろうかと心配になります。
なぜなら、こうした本の存在が年を経たら重荷になると感じたからです。

2006年に出版されて、現在も行政書士としてがんばっているのだろうとネットで検索を試みましたが、まったく消息が分からない状態です。

題名もいかにも編集者がつけたような名前ですね。
本人が書きたかったのは、こうしたことじゃないという気がしました。
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by masagorotabi | 2017-06-26 20:27 | 読書日記 | Comments(0)

ばねじぃ

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「はわだって、跳ね上がるだけじゃなくて滑りたいと思う時もあるのじゃよ」
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by masagorotabi | 2017-06-24 22:20 | 読書日記 | Comments(0)

ブナの実はそれでも虹を見る

「ブナの実はそれでも虹を見る」(丸山健二著)を読む

店でブナのみを見つけ、それを庭に埋め、育成を見守り人間の根源というものを見出していきます。
著者自身よりも長生きする生き物に対する崇拝、尊厳、それは我々自身へ向けられた行為のような気もします。

帯には「どうして私たちは生きているだけで楽しいと思えるような生き物ではないのだろう。」とあります。その答えは僕なりにこの本の中で発見しました。

数羽のインコを飼っているが、かれらもまた生きるための地味な基本に忠実で、けっしてそこから逸脱することがない。羽づくろい、沐浴、くちばしの手入れ、早寝早起き等などを生命保持の必須営為として片時も怠らず、それは習慣というよりも本能にしっかりと組み込まれた必然となっている。
愚直なまでにやるべきことをやりつづける日々がかれらの自由闊達な生を維持し、命に伸びやかな曲線を与えている。

けれども人間だけが命に直結するやるべきことをやりたがらないのだ。理屈では充分過ぎるとわかっていながら、それを避けたがる。
あげくに、当然の報いとして大小の悲劇に見舞われ、窮地に立たされ、万事休すの状態に追い込まれると、世間に向かって大げさに嘆いてみせたりする。
世間もまた世間で、そういう者を人間味溢れる存在として温かい目で見てやり、好ましい人物として受け入れる。
もしかすると、大半の人々は死にたがっているのかもしれない。
」(本文よりP101〜102)

インコの羽づくろいもそうですが、ネコもまた毛づくろいを怠りません。
その行為は、著者が語るように本能にも似た行為で、我々をも和ませ楽しませてくれる。
ひとが生きるということは、こうしたことなんだろうなと思う。

著者は、大半の人は死にたがっていると書いているが、逆も真なりで大半のひとは殺したがっているともいえる。
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by masagorotabi | 2017-06-17 20:16 | 読書日記 | Comments(0)

しつけ帳

「幸田文 しつけ帳」(幸田文著)を読む

この本を読むと幸田露伴がいかにしつけに厳しかったかがわかります。

人は清潔が好きであると同時に、汚くしておくのもまた楽しがる性質をみんな持っている。清潔には謹みと静けさがあり、汚さには寛(くつろ)ぎと笑いがある。」(本文より)

汚さにも価値を見出しているこうした文章が、露伴のしつけだったのだろうと思います。
CMを見ていると、清潔主義(こうした方が企業は儲かるから)が横行して、余裕のない人間が増えているような気がします。

しつけを漢字が書けば躾、これは除菌することではない。(笑)
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by masagorotabi | 2017-06-15 22:03 | 読書日記 | Comments(0)