カテゴリ:雑想( 71 )

豊かさについて

「何でも見てやろう」(小田実著)の中に、アメリカとイギリスの豊かさについての比較がありました。

50年前のアメリカは豊かだったのだろう。
いや、それ以前の太平洋戦争中のアメリカでさえ豊かだったのである。

現代はどうかというと、貧富の差、銃社会、高額医療と古き良きアメリカへと追いやられた感がある。
ある証券会社の社員の平均年収が7000万円と、光と陰がくっきりと表れた形になっている。

豊かさを感じる時はどんな時であろう?
冷暖房完備の部屋?財布にたんまりとお金?

もうみんな本当は知っているのであろう。
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by masagorotabi | 2015-01-17 19:53 | 雑想 | Comments(0)

冒険と後悔

ある小説を読んでいたら、オーストラリア(だったっけ?)のナースが、もうすぐ死が訪れるであろう人に、後悔をしたことについて聞いた内容が載っていました。
全部は載っておらず、ネットで検索したら出てきましたのでペーストしてみます。

『死ぬ前に後悔したくない20のこと』
1.他人がどう思うかなんて、気にしなければよかった。
2.もっと幸せを噛みしめて生きればよかった。
3.もっと他人のために尽くせばよかった。
4.あんなにくよくよ悩まなければよかった
5.もっと家族と一緒に時間を過ごせばよかった。
6.もっと人にやさしい言葉をかけてやればよかった。
7.そんなに心配しなければよかった。
8.もっと時間があったなら。
9.もっと冒険して、思い切って生きればよかった。
10.もっと自分を大切にすればよかった。
11.他人の言うことより、もっと自分の直観を信じればよかった。
12.もっと旅に出ておけばよかった。
13.あんなにがむしゃらに働かなければよかった。
14.一瞬一瞬をもっと大切に生きればよかった。
15.子供たちに好きなことをさせてやればよかった。
16.最後に言い争いなどしなければよかった。
17.自分の情熱に従えばよかった。
18.もっと自分に正直に人と接すればよかった。
19.あのとき、本音を言ってしまえばよかった。
20.なにかひとつでも目標を達成すればよかった。

死というものは恐ろしい感覚があるけれど、そこから導きだされるものもあるのだろう。
なぜ人は死を賭けて冒険をするのか?
その答えが、ここに記されているような気がします。
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by masagorotabi | 2014-10-09 19:17 | 雑想 | Comments(0)

まなざし

数週間前の新聞に、「まなざしの誕生」という本が少し紹介されていました。
どんな中身かは、あまり書かれていませんでしたが、もの言わぬ赤ちゃんのまなざしは、色んなものを圧倒的に吸収しているのだろうなと憶測します。

「誤解される人の姿は美しい」とは、岡本太郎氏の言葉です。
この言葉の重引力に、多くの人は引きつけられ、勇気を持って一歩を踏み出したことだろう。

そこには、まなざしがあって、安心していられる空間がある。
「空気を読め」ということよりも、まなざしによって空気を作るということも大切なのではないだろうか・・
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by masagorotabi | 2014-04-15 21:05 | 雑想 | Comments(2)

普通という主観

村上春樹さんの短編小説が、ある町からクレームが入ったという記事がありました。
この町の人たちは、煙草のポイ捨ては普通のこと、といった内容が問題だったと思います。

「普通、そうだよな」というセリフはよく聞きますが、多くの場合は、大多数の意見ではなくて、その人の主観だったりします。

テレビドラマの「明日、ママがいない」が話題になっていますけど、ユーチューブで最新話を公式で配信されていたので、見てみました。
いいドラマだなとしか思わなかったのですが、当事者の方々から見れば、偏見が生まれ、問題になるのでしょうか。

現実と物語には、多くの隔たりがあります。
視聴者は、そうしたことを汲み、一視聴者といて物語を楽しむゆとりが必要なのかなとも思います。
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by masagorotabi | 2014-02-13 21:03 | 雑想 | Comments(0)

「らしさ」を考える

「自分らしさ」というのは、能力である、と書いたことがあります。

「らしさ」というのは、どういうことなのか?
オカマの人たちは、テレビの世界ではよく見かけますが、彼女らは男としての自分に違和感を感じて、女性らしくという世界観を自分たちのものにした。

違和感というのは、誰もが持っている感情なのかもしれないけど、多くがそれらを仕方ないとして受け入れてしまう。
受け入れられないものたちが、「らしさ」を手に入れ、自分の世界観で生活をする。

芸能界という世界は、「らしさ」を持った人たちの集まりだから、オカマの人たちは水を得た魚のように振る舞える。

自分らしく生きる。
口では簡単に言えるけど、差別や侮蔑もあり、なかなか難しい。

まずは、自分らしく生きている人たちにアプローズ(拍手)を贈ろう。
それが、第一歩だと思うのだ。
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by masagorotabi | 2014-01-13 20:38 | 雑想 | Comments(0)

美しい道筋

将棋の羽生善治さんの本を、読みたい時に読みたい箇所を読んでいます。

その中で、「美しい手順でさせた時には、独特の楽しさも知ることになります」という箇所があり、登山家の山野井泰史さんを思い出しました。

山野井さんも、岩壁を登る時には、美しさという言葉を使っていたと思いますが、いつしか僕らは美しいという生活も生き方も忘れてしまったのだと思いました。

お二人とも、人間的な魅力に長けた人で、それは卓越した技量を持ったからではなく、美しさを求めたから、人格が形勢されていったのではないかと思わせます。
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by masagorotabi | 2014-01-09 20:30 | 雑想 | Comments(0)

自信

前回の書き込みを踏まえての内容になります。

自信を持つには、どうしたらいいのだろう。
そんなことは簡単さ、誰よりの優れたものを持つことさ。
そんなことが簡単に出来たら、誰もが自信を持つことができるだろう。

人間社会においては、評価されるということが、最も自信を持つことができる早道かもしれません。
評価されるには、その社会の慣習、忠実、礼節を持ち得たものこそが自信家になり得る(?)。

プロスポーツ界に置いては、誰よりも技量、体力に勝り、自他共に認められたものが自信というものを持つことができる。

自信を持つことは、打算も加味して、度が過ぎると品性が劣る可能性がある。
もっと簡単に自信を持つことができないだろうかと考えてはみるものの、やはり、そう簡単ではないことに気づく。

僕は、もっと自由に生きたいので、「自分らしさ」という気分を大事にしたいと思う。
自分らしさというのも、ある種の能力だと思うけど、世間の眼を気にして何も出来なかったり、他人に媚びたり、そんな風にして生きることはしないようにしたいなあと思うのである。

善良な人は極めて少ない社会(僕はそうに思っている)においては、気にした分だけ、らしさを失うように思えてならないのである。
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by masagorotabi | 2013-12-21 20:39 | 雑想 | Comments(0)

パーソナルスペースと社会性

歩きながら考えたことだけど、前に同じようなことを書いたことがあるかもしれません。

自動車というのは、交通弱者をないがしろにする傾向にあると運転手の顔を見ながら、そんなことを思っていた。
自動車の中の空間は、運転手にとってはパーソナルスペースとなり、何人も寄せ付けないものであると考える。
その反動というべきか、他者へのいたわりが軽薄になる。

阿部謹也氏の本を読むと、個人という概念が日本と欧米では違い、たとえば知り合いが後ろからポンッと肩を叩き「よおー!」なんて声をかけることはないと記されてあった。
自分の身体から数十センチに他人を軽々しく侵入させることはないという。
(つまり、ぎゅうぎゅう詰めの見知らぬ同士の満員電車はありえないということ)
それでいて、親しくなればハグをしあうのだから、欧米人の個人という概念はこういうものなのだなと思い知る。

日本人の場合は、個人よりも世間体というものが支配する。
だから、個人になれていない日本人が自動車という個人を得たとき、うまく他者と渡り合うことができないのではないのかと、僕は考えるのである。

欧米人が持つ個人がいいというわけではなく、個人、世間、どちらも上手に操縦してこそ、より良い生活の構築ができるのではないかと、歩きながらそんなことを考えていたのでありました。
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by masagorotabi | 2013-09-24 22:33 | 雑想 | Comments(0)

本気と責任

「青い鳥」という映画を観ました。
これで2度目ですが、やはりいい映画だと感じます。

前にも紹介しましたけど、阿部寛さん演じる臨時の教師が、イジメで自殺未遂を起こしたクラスにやってきます。
イジメられた生徒は、他校に転校してしまった後のお話ですが、そのクラスにある刺を抜く役割が、その先生です。

「人が本気で話している時は、本気で聞かなければならない」
「犯してしまった罪は、責任を持って背負わなければならない」
というようなセリフ(不確か)が心に残ります。
イジメに加担した生徒同士が「生きていてくれてよかった」と話すシーンには、命の尊さを感じます。

自分は、本気生きているか、本気で責任を背負っているか、そんなことを考えさせられました。
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by masagorotabi | 2013-09-14 21:48 | 雑想 | Comments(0)

愛情を注ぐということ

「日本社会で生きること』(阿部謹也著)を読み返していたのですが、その中に気になることが書かれてありました。

「差別とはなにか」という項目の中の内容ですが、教師と生徒の関係性において、生徒が教師より能力がある場合、教師はどのような反応をするのかということです。

その教師が、真面目で素直な人であればその生徒の能力を生かそうと努力し、良い結果を生む、しかし教師は多少傷つきながらそういうことをするわけです。
逆に、恐怖を感じてしまう人は、愛のムチ、愛情という名を借りていじめるということが、しばしば起こると記されています。

これは教師、生徒という関係以外でも師弟、先輩後輩、親と子の関係といったものも同じで、愛情という支配関係という形は、行き詰まってしまい、愛情という言葉は口にしない方が良いとも書かれてあります。

人は他人を支配しようとするし、それができない場合は嫉妬に変ってしまう。
それがこうじて、いじめに発展してしまうことも起きる。
こうしたことは、生活の中によく見られる場面だと思います。

僕は、常々人は年齢を重ねるとともに、劣化していくのではと思っていましたが、唯一、人が熟成することができるとすれば、「多少傷つきながら」も個人を尊重し、他人を生かせる方法論を持っている人かもしれないなあと思ったのでした。
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by masagorotabi | 2013-04-30 19:20 | 雑想 | Comments(0)