カテゴリ:雑想( 71 )

希望と願望

昨年の暮れに、ある女流小説家の本を読みました。

内容はというと、いわゆるママ友仲間のドロドロした関係を綴ったものです。
終わり方も、ハッピーエンドではなく、スカッとするようなものではありませんでした。

昔ばなしの中には、救いようのないお話というのは多くありますが、宗教と違ってなぜそこに救いを求めないのだろうと思ったりします。

映画でも小説、漫画でも物語とつくものには、多くの人は希望を描かれたものを求めるのかもしれません。
でも、それは希望ではなく願望でしかないのではないか。

ハッピーエンドではなくても、そこになにかを発見し、光明が見えた時に、それを希望というのではないかと思うのである。
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by masagorotabi | 2013-04-21 21:17 | 雑想 | Comments(0)

秩序と無秩序

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養老孟司氏のネット記事に、タバコの効用について書かれてありました。

秩序(たとえば仕事とか)が生まれたら、無秩序も同時に生まれ、タバコというのはその無秩序であり、それがバランスのある生活を生む、といった内容でした。(害があるという前提のもとで)

仕事というものが辛いだけのものではなく、お客から感謝されるという無秩序もあるわけで、仕事のみでバランスのある生活をおくることもできるのであろうという解釈も成り立つと思いますが・・

我々の生活というのは、バランスシートのもとで生活していないと精神が破綻してしまうのかもしれません。

他人を虐めてしまうというのも、下劣な自分とのバランスの上で成り立っているのであろう。
虐めをなくすことは不可能という意見も聞かれますが、それは下劣な人間を根絶しなければなくならないということでもあると思うのです。

働き蟻に見る28の法則(どんなに働き者の蟻を集めても2割の怠け者が生まれる)というのがありますが、2割の怠け者の蟻がいるからこそ、蟻の世界が成り立っているとも考えられます。

無秩序も大切にしなくてはならないのかなあとも思います。
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by masagorotabi | 2013-03-04 20:06 | 雑想 | Comments(0)

裸足

「女たちよ!」(伊丹十三著)を読んでいたら、著者は自動車というものが好きではないらしい。
一番高等なのは歩き、次が自転車と書かれてあります。
(このあたりは僕と同じ)

自転車を愉しもうと心の底から願う人には、旅を勧め、なぜかカンボジアに行って頂くと記してあります。
着るものは水泳パンツ一枚で密林の中を抜けいて行く。
ふるさとを思い、恋人を思い、来し方行き先を思う。
弓矢を肩にかけた現地人がにんまり笑いながら、裸足でペダルを踏んでくるのとすれ違う。

裸足で思い出したのですが、宮古島(沖縄)をヘロヘロになりながら歩いて旅した時に、裸足でカブに乗っていたおばさんがいました。
満面の笑顔で僕に挨拶をしてくれましたが、畑仕事に行く途中だったのでしょう。

昨今、裸足で外に出るということはなくなってしまいましたが、裸足でいる機会が増えたらもっと人間らしい生活ができるかな、とそんなことを思いました。
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by masagorotabi | 2013-01-24 22:10 | 雑想 | Comments(0)

自分で考えるを考える

ネット記事の見出しだけ見ていたら、ネット中毒になると、自分で考えるということが麻痺してくるなんてのがあったと思います。

前にも書いたと思いますが、宮大工の故宮本常一氏は、弟子方には建物を見物したり本を読んだりして勉強しなくてもよいと指導したそうです。
実践をして、自分で考えるということを重視し、勉強はその後と教えたそうです。

以前、ラジオ番組の中で、ある女流小説家の方が、小説を一切読まないと語られていました。
理由として、何年ヶ後に同じ内容の小説を書いてしまい、自分の小説と勘違いしてしまうのを怖れてのことだそうです。

たくさんの情報を仕入れるということは、頭が良くなったと勘違いをしてしまいそうですが、まずは自分で考えてみるということの方が大切なのかなと思えてきます。
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by masagorotabi | 2012-12-27 21:07 | 雑想 | Comments(0)

努力と才能

ある女性のエッセイを読んでいたら、才能とはという一文があり、顔の手入れをする女性の姿が書かれてありました。
毎日、自分を磨くため、寝る前に平然と習慣のように同じ動作をする。
面倒がらずに、そのことを続ける行為こそを才能と締めくくっていました。

僕らは、一つの行為を持続させることは稀です。
飽きるということも、成長の過程と考えると、それもまた生き方の一つだと思います。

でも、続けないと到達できない地点というのも存在するので、なにげないことの連続でも、大きな実を結ぶことも多分にあるのも事実だと思う。

長く続けてこれたことを才能と呼び、その歩んできた足跡を努力という、そんな風に思うのだ。
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by masagorotabi | 2012-12-25 19:11 | 雑想 | Comments(0)

光明

テレビがない代わりにラジオはよく聞いているのですが、その中で相撲の話がありました。

入門する時に、好きな相撲界に率先して入る人と嫌々ながらに親方に連れられて入る人とでは、嫌々ながらに入った人の方が大成すると言っていました。
理由として、苦しみながらに光明を見いだして努力するからといったものでした。

プロ野球選手だった清原氏は、念願の巨人に入団した時に富士山に喩えていましたが、遠くで見る富士は奇麗だったが登ってみるとゴミだらけと後に語っていますが、印象と実際とでは大きな隔たりがあったのでしょう。

僕は好きな道で生活が成り立つというのは、とても素敵な生き方だと思いますが、嫌なことに目を向けるのではなく、苦労を買ってでもしろという古の教えの通りに生きないと光明は見いだせないのでしょう。

でも、苦労を押し付けられるよりも、苦労を買った方が良い買い物ができると思います。
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by masagorotabi | 2012-11-20 20:23 | 雑想 | Comments(0)

コーヒースプーンとカレースプーン

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里衣工房で作られたスプーンです。
鍛金といって、アルミ合金を叩いて作られたものです。
使う度に、愛着が湧くと思います。

たまたまゲーテに関する本を読んでいたのですが、ゲーテの言葉に「有用なものから本物を経て、美にいたれ」というのがあるそうです。
一緒に、ウイリアム・モリスという人が紹介されていて、その人の考えは、「有用と思わないもの、美しいと思わないものは家に置くべきではない」だそうです。
この方の思想は、社会の最大の課題は「美しい人間」を作ることだといいます。

このスプーンには、ここで作られたという刻印が記されています。
誰しも名前があるわけですが、その大切な名前をこうして刻むというのは、生まれてきた証ともいえるのではないでしょうか。

職業として、そのように就けなかったとしても、他人の心の中に自分の人の刻印あったなら、それもまた生きてきた証だと言えます。
ただ、自分で他人の心の中に勝手に刻印を押すことはできませんが・・
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by masagorotabi | 2012-09-26 20:50 | 雑想 | Comments(0)

協調と幸福

「賭博と国家と男と女」(竹内久美子著)を読み返していると前にも書きましたが、その中にアダム・スイスのことが記されています。

協調には利己心こそが重要であるとあり、このことが人間と社会とを幸福に導く唯一の道、とあります。

「え?」と思ってしまったのですが、自分の犠牲の上だけでは、社会も自らも幸せにはなれないということです。

(郡淘汰(郡選択)という言葉があるのですが、おおまかにいうと現在の社会のようなものだろうか。
あまり善い言葉として受けたられていません。
この中で、幸福を見いだすことは不可能なのかもしれない。)

「情けは人のためならず」という諺がありますが、偽善者的な言葉だなあと思っていたのですが、人に親切にすることは巡り巡って自分に返ってくる、という考え方の方が、周りも幸福になれるのかもしれません。
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by masagorotabi | 2012-06-30 21:45 | 雑想 | Comments(0)

本棚の整理

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本棚の整理をしていたら、老子に関する本が出てきました。
線が引いてある箇所がだいぶあり、いいことも書いてあるのですが、それが身に付いていないことに、なかばあきれます。

老子は「無知無欲」のすすめを説いていますが、それは「道」を修めることを優先しているからです。
知識が増えることをよしとせず、無為の立場にいれば万事が立派に成し遂げられると教えているわけです。

情報弱者という言葉とは、正反対の考え方ですね。
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by masagorotabi | 2012-06-04 20:23 | 雑想 | Comments(0)

レオカードを換金する

レオカードとは、西武鉄道で乗車券を買い求める時に使う、テレフォンカードのようなものです。
現在では使われておらず、カードがあれば換金をしてくれます。

手元に1000円分のレオカードがあったので、換金をしてもらおうと西武秩父駅に出向き、換金するには10日ほど待たなくてはならないと口頭で言われ、そうすることにしました。
一週間ほどで電話がかかってきて、明晩7時にうかがうことにすると相手に伝えました。

先日、お金を受け取りにいったのですが、どうも段取りがよろしくない。
受付にいた人は、人当たりの良い方だったのですが、奥で上司と話しているのか、なにやら不穏な雰囲気が漂ってきます。

ここの組織はうまくいっていないのか、それとも利益にならない客(?)には冷たいのか、不穏な正体とはそういった気配です。

世の中には、なんでもお金主義という人も数多くいます。
お金にならなければ、無視か粗雑な扱いをする、自分さえ良ければ傷つけることもいとわない人も少なくない。
ただ、やられた方は、たまったものじゃない。

経済、お金、こうしたことを軸に生活をしていると、精神が荒んでこないのだろうかと心配になります。
それよりも、時間という軸で考え、さわやかで心地よくて、そうした時間を共有することに意義があるという考えでもいいのではないかと思います。

もし、僕が西武鉄道の職員(奥にいた上司らしき人)に対して、間違った解釈、イメージを持ったのなら、1000円の菓子折りを持って、謝りに行く用意はあります。(笑)
自分が間違っているのであれば、誠意を持って謝る、それが時間という軸で生活するという僕の人生観であるからです。
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by masagorotabi | 2012-04-29 20:36 | 雑想 | Comments(0)