カテゴリ:雑想( 71 )

古本屋

「本の気つけ薬」(出久根達郎著)を読んだのですが、その中に古本屋開業の秘訣について書かれてあります。

本屋なので、いらっしゃいませという挨拶は必要なし、本を買い求めたお客に対してはありがとうございましたを言え、お愛想のひとつも自然にいえるようになること、などと書かれてあります。

簡単そうでも、それはなかなか出来ないことで、中には嫌な客もいる、そういったお客に対しても、常に明るく、気分よくさせることができたなら商売人として合格であろう、とあります。

著者の修業時代には、朝、ハタキをかける時に、三冊くらい手で持ってやるそうです。
持つ必要性はなくても、本を直に触るといいうことが、大事なこととも書かれてあります。

しかし、最近では、文学本というものは値下がりしているそうです。
理由としては、教養を高めるという人が少なくなったということ。

バブルが弾け、みなお金儲けのことしか考えなくなったから、と記されてありますが、「昔は良かった」という言葉も、まんざら嘘ではなく本当のことなのかもしれません。

現代は、夢や希望を持ちにくい時代といわれますが、バブル以降、お金、利権、こういったものが幅を利かせ、人が教養や知性を磨かなくなってしまい、既得権益を守ろうとしがみつき、多くの人が夢や希望を持つことを躊躇せざるをえない状況なのかもしれません。

話は変わりますが、僕は古いものが好きで、たまに古着屋さんのブログも覗いたりしています。
未だに古着というものは買ったことがないのですが、前にも書いたことがあるのですが、古いものには、その時代と現代との間に未来が介在しているから好きなのです。
未来は過去にもあった、そうに思っています。
[PR]
by masagorotabi | 2012-04-19 19:32 | 雑想 | Comments(0)

昨日は、熱っぽかったですが、風邪薬を飲もうか飲むまいかと悩んでいました。
出来るだけ薬は控えるようにしていますけど、これ以上体調が悪くなるのもいけないかなあと思ったのですが、結局飲みませんでした。

前回、プラシーボ効果という言葉を書きましたが、その意味は偽薬をホンモノの薬と思い込み、効果が出てしまうということです。
思い込みだけで、風邪が収まってしまうなんて、どんなに素敵なことなのでしょう。

ただし、この効果も第三者がいて、それも信頼のおける人物でなくてはならないのかもしれません。
一回や二回は、その効果を体感できるかもしれませんが、三回目以降は変に疑ってしまうことだってありえます。

嘘をつくということが、いかに難しいことなのかということかもしれません。

僕は、嘘は嘘と分かっている嘘でないとついてはいけないと思っています。
その理由としては、いずれバレるということと、嘘をついた負い目が自分自身を苦しめると思っているからです。

嘘から出た真、なんてこともありますが、それは潜在意識の中で、真実を追究しているからでしょう。

どんな素敵な嘘をつこうかな・・
[PR]
by masagorotabi | 2012-03-15 20:14 | 雑想 | Comments(0)

遺跡

遺跡発見!などと聞くと、どこかわくわくしてしまうのですが、古の生活を知るということは、未来の切符を手にする、そんな気分にすらなります。

ですが、原発で発生した死の灰を未来の人たちが遺跡だと思い掘り起こしたら、100万年経たないと無害化しない代物だった・・・
こんなことが現実におこったら、未来の人たちは現世代の人たちのことをどのように思うだろうか。
[PR]
by masagorotabi | 2012-02-25 20:05 | 雑想 | Comments(0)

裏返す

裏表のある人間というと、悪いイメージですが、その裏をかいてみようと思います。

人間というのは、自分を大きく見せたり良く見せようとしますが、そんなことをしているから、裏表がはっきりとしてくるのだろう。

昔から、能ある鷹は爪を隠す、と言われますが、その人の裏を見た時に、磨かれた爪だったらいいわけです。

僕らは、日々の生活の中で裏返すという行為をあまりやりません。
だから、隣の芝生は青かったり、他人を羨んだり、妬ましく思えたりします。
(それほど、他人というのは、多くの場合、美しくはないけどなあ)

自らの裏は、能ある鷹は爪を隠す、であって欲しいと思います。
[PR]
by masagorotabi | 2012-01-10 20:55 | 雑想 | Comments(0)

ケンカの流儀

少し前にボクシングの教本を読んでいたら、ジョージ・フォアマンとモハメド・アリの話が出ていました。

フォアマンは強打で知られていますが、TKOが多く、アリはKO勝ちが多いとありました。
いくら強打でも,相手に構えられたら、そんなに倒すことはできず、アリのように平均、もしくはそれ以下のパンチ力であっても相手をテンカウントに沈めることもできます。

その違いというのは、どこからくるともわからないパンチ、といったことが書かれてあったように思います。

カウンター、ノーモーションからのパンチ・・これらのパンチが相手に一番効くパンチとなると思いますが、攻撃は最大の防御という言葉は、ボクシングに限っては当てはまらないように思います。

相手より強くなりたいと思ったら、まず、それなりの努力というものが必要で、準備期間を経て初めて相手と闘える状態となります。

強くなればなるほど、自分のパンチがどれほど危険なのかを認識する能力も長けてきます。
リング場ならいざ知れず、路上でのケンカなど、まったく意味のないものと思うことでしょう。

ケンカの流儀があるとすれば、それは、どれだけ努力,鍛えられているかが問題だと思う。
でなければ、ケンカなどするべきではないだろう。
[PR]
by masagorotabi | 2011-12-01 20:16 | 雑想 | Comments(0)

罪と罰

画材を買いに、文房具店へ行った時の話です。

店員はレジの所でおしゃべりを、内容はといえば上司(?)とかの悪口です。
聞きたくないと思えば思うほど、そういった会話は届くもので嫌な気持ちになります。
おそらく、客の悪口も面白半分に話しているのであろう。

至る所に、万引きをしたら即警察に通報という張り紙があります。
僕は、万引きは今までしたことがないですが、万引き犯と間違われないかとビビってしまいます。

万引きが多いのは分かりますが、万引きを少なくするには、店の雰囲気をよくすることが抑止力になるのですが、このお店でよい雰囲気を感じたことなどありません。

万引きは犯罪なので同情することはできませんし、そうした行為は将来自分の顔を作っていくことになります。
盗むことが罪なのではなく、そうした顔になっていくことが罪なのだと僕は思います。

店側は、客を疑心暗鬼で客を見ることになります。
そうした心が罰なのであって、そうした心もまた不幸の在り方だと思います。

雰囲気が悪いと、罪を誘発して罰を受ける。
罪と罰とは、そういうことだと思う。
[PR]
by masagorotabi | 2011-11-28 21:49 | 雑想 | Comments(0)

米百俵

電気の節約ですが、去年の電気量と比べると、文庫本が2〜3冊買える分になります。

何が快適かは、個人によって違いますが、節約した分で何かを買うというのは、僕にとっては快適な出来事になります。

生涯、勉強したり、向上心をもって生きるというのは、何事にも代え難いことだと思います。
いつか、それが化けたりしたりするかもしれないので、楽しみも増えることになります。
[PR]
by masagorotabi | 2011-11-24 21:02 | 雑想 | Comments(0)

生き物

d0163154_20253227.jpg


まだカマキリが生きていました。
生きた餌しか食さないだろうから、生き抜くことは難しいかもしれません。

最近、志賀直哉の「城の崎にて」を読みました。
蜂、鼠、ヤモリ・・こういった生き物が登場し、著者自身の生を揺さぶります。

生き物を観察するということは、それはとりもなおさず、自分自身を観察することです。
そんなゆらぎを感じながら、日々のせわしなさをおくります。
[PR]
by masagorotabi | 2011-11-22 20:35 | 雑想 | Comments(0)

秩序

新聞などで、自転車での走行の記事をよく見かけます。

マナーや自転車レーンの整備といった記事が主ですが、誰しも一歩外に出たら交通ルールを守るということが課せられます。

秩序を守るにはどうしたらいいのだろうか?
坂口安吾の言葉を借りるなら、犠牲となるのであろう。

誰かを一方的に悪者にするのは好みません。
なぜなら交通には、秩序がなければいけないからです。

だから、誰しも犠牲が必要だし、それがなくては自動車やオートバイ、自転車、歩行者にもなってはいけないと思ってます。
受け身としてとらえられる犠牲ということが嫌ならば、思いやりと置き換えてもいい。
交通ルールとは、そういうものであると思う。
[PR]
by masagorotabi | 2011-11-21 21:40 | 雑想 | Comments(0)

ハングリー

d0163154_19232494.jpg


貰い物です。

柿の木を見てみると、今年は豊作のようです。
しかし、あの柿を誰かが食べることがあるのだろうかと、心配になります。
誰も柿の存在など知らぬかのように、熟した柿がアスファルトの上に落ちます。

人は、腹ぺこの時は、有り難みを感じるけれど、腹一杯の時に施しをされても何とも思わない。
現金なものです。

飽食のなかで、ハングリーさを持つことがどれだけ難しいことか、それよりも飽食でいられることが、より難しいことか、ハングリーでなければ、そのことはわからないのだろうか。

一度、熟した柿が頭に落ちればいいと思う。
[PR]
by masagorotabi | 2011-11-15 19:34 | 雑想 | Comments(0)