カテゴリ:雑想( 76 )

罪と罰

画材を買いに、文房具店へ行った時の話です。

店員はレジの所でおしゃべりを、内容はといえば上司(?)とかの悪口です。
聞きたくないと思えば思うほど、そういった会話は届くもので嫌な気持ちになります。
おそらく、客の悪口も面白半分に話しているのであろう。

至る所に、万引きをしたら即警察に通報という張り紙があります。
僕は、万引きは今までしたことがないですが、万引き犯と間違われないかとビビってしまいます。

万引きが多いのは分かりますが、万引きを少なくするには、店の雰囲気をよくすることが抑止力になるのですが、このお店でよい雰囲気を感じたことなどありません。

万引きは犯罪なので同情することはできませんし、そうした行為は将来自分の顔を作っていくことになります。
盗むことが罪なのではなく、そうした顔になっていくことが罪なのだと僕は思います。

店側は、客を疑心暗鬼で客を見ることになります。
そうした心が罰なのであって、そうした心もまた不幸の在り方だと思います。

雰囲気が悪いと、罪を誘発して罰を受ける。
罪と罰とは、そういうことだと思う。
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by masagorotabi | 2011-11-28 21:49 | 雑想 | Comments(0)

米百俵

電気の節約ですが、去年の電気量と比べると、文庫本が2〜3冊買える分になります。

何が快適かは、個人によって違いますが、節約した分で何かを買うというのは、僕にとっては快適な出来事になります。

生涯、勉強したり、向上心をもって生きるというのは、何事にも代え難いことだと思います。
いつか、それが化けたりしたりするかもしれないので、楽しみも増えることになります。
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by masagorotabi | 2011-11-24 21:02 | 雑想 | Comments(0)

生き物

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まだカマキリが生きていました。
生きた餌しか食さないだろうから、生き抜くことは難しいかもしれません。

最近、志賀直哉の「城の崎にて」を読みました。
蜂、鼠、ヤモリ・・こういった生き物が登場し、著者自身の生を揺さぶります。

生き物を観察するということは、それはとりもなおさず、自分自身を観察することです。
そんなゆらぎを感じながら、日々のせわしなさをおくります。
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by masagorotabi | 2011-11-22 20:35 | 雑想 | Comments(0)

秩序

新聞などで、自転車での走行の記事をよく見かけます。

マナーや自転車レーンの整備といった記事が主ですが、誰しも一歩外に出たら交通ルールを守るということが課せられます。

秩序を守るにはどうしたらいいのだろうか?
坂口安吾の言葉を借りるなら、犠牲となるのであろう。

誰かを一方的に悪者にするのは好みません。
なぜなら交通には、秩序がなければいけないからです。

だから、誰しも犠牲が必要だし、それがなくては自動車やオートバイ、自転車、歩行者にもなってはいけないと思ってます。
受け身としてとらえられる犠牲ということが嫌ならば、思いやりと置き換えてもいい。
交通ルールとは、そういうものであると思う。
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by masagorotabi | 2011-11-21 21:40 | 雑想 | Comments(0)

ハングリー

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貰い物です。

柿の木を見てみると、今年は豊作のようです。
しかし、あの柿を誰かが食べることがあるのだろうかと、心配になります。
誰も柿の存在など知らぬかのように、熟した柿がアスファルトの上に落ちます。

人は、腹ぺこの時は、有り難みを感じるけれど、腹一杯の時に施しをされても何とも思わない。
現金なものです。

飽食のなかで、ハングリーさを持つことがどれだけ難しいことか、それよりも飽食でいられることが、より難しいことか、ハングリーでなければ、そのことはわからないのだろうか。

一度、熟した柿が頭に落ちればいいと思う。
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by masagorotabi | 2011-11-15 19:34 | 雑想 | Comments(0)

胡蝶の夢

直訳すると、夢か現実かわからない様、ということになるのでしょうが、これを下地に芥川龍之介が短編を書いていたと思いますが、ちと分かりません。

夢と現実の世界を持っているというのは、幸福なことだなと思いますが、現実の世界に追われているともう一つの世界観を持つということは、なかなか困難なことなのかもしれません。

僕にとって、もう一つの世界というのは、オートバイであり自転車であり旅することであったりしました。

夢を諦めるな、という言葉に違和感を持っている人たちも多いと思いますが、それに向かっている道中も夢の世界であって、夢を諦めない状態ですでに夢の達成感の世界に浸っているのだなと思います。
だから叶う叶わないというのは大きな問題ではなく、「胡蝶の夢」の状態が僕らにとって大事なことではないのかと思った次第です。
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by masagorotabi | 2011-08-03 21:04 | 雑想 | Comments(0)

負け上手

なでしこジャパンの試合を終盤だけ見ていたのですが、それを見た印象を・・・

前に自転車で抜かされるのは気持ちのよいものだと書きました。
それは、スピードでは自動車、オートバイにかなわないからです。
ならば、その利点を生かし、抜かされ上手になればいいと考えたからです。

で、なでしこジャパンですが、この試合を見ていたら「負け上手」になればいいのだなと思い、彼女たちの試合の行く末を追っていました。
負け上手というのは、負けることではなく、いかに美しく負けるかに力点を置くということです。
ですので、あきらめることをしないし、相手にも敬意を忘れません。
勝つことだって多々ある。

我々は、いつも勝とうとするけれど、勝負に勝者があれば敗者も生まれる。
勝った時だけ、歓喜するのではなく、負けた時にも大切な喜びがあるのではと思った次第です。
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by masagorotabi | 2011-07-20 19:16 | 雑想 | Comments(0)

お多福

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七という数字は、多いという意味が含まれているという内容の文章を読んだことがあります。
(多いといえば、百という数もそういう意味が含まれていると思うのですが・・)

七福神、七草がゆ、にも七が使われていますが、八百万の神の国なのに七福では少なすぎますね。
七という数字を多いと解釈すれば、納得がいきます。

なにが書きたいかというと、日本では大きな幸せよりも多くの幸せに趣をおいていたのではないかと思ったからです。
僕らは大きな(個人の)幸せを追い求めてしまいがちだけど、多くの(他者の)幸せを求めてた方がいいのではないかと、その方が日本人らしいと考えたのでありました。
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by masagorotabi | 2011-05-11 19:32 | 雑想 | Comments(0)

いろり

宮本常一の「旅の民俗学」の中に、いろりのことが書かれてあります。
いろりが無くなると、日本人の性格が変わってしまうのでないかとあります。

昔は、人の集まる場所といえば「いろり」で、そこは境がなくなる空間だという。
だから互いに色んな話ができて、相手を理解する空間でもあったのだろう。

山田洋次監督の「息子」という映画がありますが、ラストは「いろり」のシーンが出てきます。
家族のあり方の象徴的なシーンで登場しますが、現代にはそういった空間はなくなってしまったといってもいいのかもしれません。

静かに暮らすということがなくなってしまって、車のドアの開け閉めや戸の開け閉めなど、気づかぬうちに大きな音をたてるようになってしまって、無味乾燥の世の中になってしまったように思える時があります。

芭蕉の「静けさや岩にしみいる蝉の音」という感性を忘れずにいたいものだと思います。
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by masagorotabi | 2011-04-30 20:15 | 雑想 | Comments(0)

おいしい生活

新聞の切り抜きを、時々眺めるのが好きである。

その中で、岐阜、愛知の喫茶店のことが書かれてある切り抜きを見ました。
朝、珈琲を頼むと注文しないのにゆで卵とトーストが出てくるらしいです。
これで採算が合うのだろうかと思うけど、こうしたことが採算よりも街の雰囲気を醸し出しているのかもしれません。

先日、ラジオを聞いていたら日本ほど少しのお金で、ほどほどに美味しく、お腹を満たしてくれる国はないと語られていました。
僕は日本で暮らす人々は、本質的にエキゾチックで良心的な人々の集まりであると思っています。

そのことは忘れないでおこう、と思います。
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by masagorotabi | 2011-04-07 23:43 | 雑想 | Comments(0)