カテゴリ:雑想( 71 )

胡蝶の夢

直訳すると、夢か現実かわからない様、ということになるのでしょうが、これを下地に芥川龍之介が短編を書いていたと思いますが、ちと分かりません。

夢と現実の世界を持っているというのは、幸福なことだなと思いますが、現実の世界に追われているともう一つの世界観を持つということは、なかなか困難なことなのかもしれません。

僕にとって、もう一つの世界というのは、オートバイであり自転車であり旅することであったりしました。

夢を諦めるな、という言葉に違和感を持っている人たちも多いと思いますが、それに向かっている道中も夢の世界であって、夢を諦めない状態ですでに夢の達成感の世界に浸っているのだなと思います。
だから叶う叶わないというのは大きな問題ではなく、「胡蝶の夢」の状態が僕らにとって大事なことではないのかと思った次第です。
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by masagorotabi | 2011-08-03 21:04 | 雑想 | Comments(0)

負け上手

なでしこジャパンの試合を終盤だけ見ていたのですが、それを見た印象を・・・

前に自転車で抜かされるのは気持ちのよいものだと書きました。
それは、スピードでは自動車、オートバイにかなわないからです。
ならば、その利点を生かし、抜かされ上手になればいいと考えたからです。

で、なでしこジャパンですが、この試合を見ていたら「負け上手」になればいいのだなと思い、彼女たちの試合の行く末を追っていました。
負け上手というのは、負けることではなく、いかに美しく負けるかに力点を置くということです。
ですので、あきらめることをしないし、相手にも敬意を忘れません。
勝つことだって多々ある。

我々は、いつも勝とうとするけれど、勝負に勝者があれば敗者も生まれる。
勝った時だけ、歓喜するのではなく、負けた時にも大切な喜びがあるのではと思った次第です。
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by masagorotabi | 2011-07-20 19:16 | 雑想 | Comments(0)

お多福

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七という数字は、多いという意味が含まれているという内容の文章を読んだことがあります。
(多いといえば、百という数もそういう意味が含まれていると思うのですが・・)

七福神、七草がゆ、にも七が使われていますが、八百万の神の国なのに七福では少なすぎますね。
七という数字を多いと解釈すれば、納得がいきます。

なにが書きたいかというと、日本では大きな幸せよりも多くの幸せに趣をおいていたのではないかと思ったからです。
僕らは大きな(個人の)幸せを追い求めてしまいがちだけど、多くの(他者の)幸せを求めてた方がいいのではないかと、その方が日本人らしいと考えたのでありました。
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by masagorotabi | 2011-05-11 19:32 | 雑想 | Comments(0)

いろり

宮本常一の「旅の民俗学」の中に、いろりのことが書かれてあります。
いろりが無くなると、日本人の性格が変わってしまうのでないかとあります。

昔は、人の集まる場所といえば「いろり」で、そこは境がなくなる空間だという。
だから互いに色んな話ができて、相手を理解する空間でもあったのだろう。

山田洋次監督の「息子」という映画がありますが、ラストは「いろり」のシーンが出てきます。
家族のあり方の象徴的なシーンで登場しますが、現代にはそういった空間はなくなってしまったといってもいいのかもしれません。

静かに暮らすということがなくなってしまって、車のドアの開け閉めや戸の開け閉めなど、気づかぬうちに大きな音をたてるようになってしまって、無味乾燥の世の中になってしまったように思える時があります。

芭蕉の「静けさや岩にしみいる蝉の音」という感性を忘れずにいたいものだと思います。
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by masagorotabi | 2011-04-30 20:15 | 雑想 | Comments(0)

おいしい生活

新聞の切り抜きを、時々眺めるのが好きである。

その中で、岐阜、愛知の喫茶店のことが書かれてある切り抜きを見ました。
朝、珈琲を頼むと注文しないのにゆで卵とトーストが出てくるらしいです。
これで採算が合うのだろうかと思うけど、こうしたことが採算よりも街の雰囲気を醸し出しているのかもしれません。

先日、ラジオを聞いていたら日本ほど少しのお金で、ほどほどに美味しく、お腹を満たしてくれる国はないと語られていました。
僕は日本で暮らす人々は、本質的にエキゾチックで良心的な人々の集まりであると思っています。

そのことは忘れないでおこう、と思います。
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by masagorotabi | 2011-04-07 23:43 | 雑想 | Comments(0)

希望

新聞の書評を読んでいたら、面白い記事が載っていました。

チンパンジーとヒトとの違いを論じていて、チンパンジーは即時記憶では優れてはいるが、想像力が欠如して未来を見通すことができないそうです。
ヒトの場合は、記憶はもろく時には混線し正確さと引き換えに、想像力(創造力)を手に入れたそうです。
マイナス要素をプラスに転じた好例でしょう。

2・8の法則(よく働くアリを集めても、2割は怠け者となる?)というのがありますが、物事を上手に運ぶのには、マイナス要因?があった方がいいのかもしれません。

では、創造力とはなんだろう。
チンパンジーは絶望しない、ヒトは未来を悲観して絶望する。
しかし、どんなことがあっても希望を見続けることができる。
たしか、パンドラの箱に最後に残ったのは希望だったと思いますが・・
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by masagorotabi | 2011-04-06 20:38 | 雑想 | Comments(0)

計画節電のキセキ

「人声天語」(坪内祐三著)を読んでいたら、「みずず書房」という出版社のことが書かれてありました。
このような良質な本を出版している出版社は、2~30年前まではいくつもあったが、最近ではあまり見かけることはなく、みすず書房の存在は奇跡ともいえるものだ、という風に記されていました。

話は変わりますが、節電という言葉が踊る昨今、僕も意識的に節電を心がけているも、日頃から節電をしていたので、劇的に電気量を減らすまでには至っていません。
これ以上節電するならば、冷蔵庫を買い替えるくらいしか出来ません。

節電の効用というものがあるなら、個人的なレベルならば、その分お金が返ってくるということだろう。
そのお金を何に使うと考えるならば、僕ならば良質な本を買い求めるだろう。
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by masagorotabi | 2011-04-05 19:00 | 雑想 | Comments(0)

売り切れにおもう

夜の9時頃に、スーパーに買い物に行ったのですが、パンと納豆は売り切れでした。

これらがなくとも、生活に支障は全くないのですが、以前でしたら売り切れかよ!と憤慨していたかもしれません。
パンと納豆がなければ、他のものを買えばいいし、他の食品との出会いもあるはずです。
そんな出会いを歓迎すれば、いいじゃないかと今は肯定的です。
(廃棄しなくてもいいですし)

よく才能が枯渇したという言われ方をしますが、才能が売り切れたとすれば、違う才能が生えるのではないかとパンと納豆の売り切れを見て思ったのでした。
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by masagorotabi | 2011-03-26 23:02 | 雑想 | Comments(0)

踏切におもう

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秩父鉄道には、写真のように警報機も遮断機もない踏切があります。

この踏切を渡るとき、いつもドキドキしてしまいます。
左右を見た時に、電車が見えたらバクバクと警報機の代わりに心臓が高鳴ります。
電車が米粒ほどなら、遠慮なく渡り、それ以上大きかったら顔が強ばります。

賢明な人ならば、こうした場所を利用せず、少し遠回りしてでもここは回避するかもしれません。
一番いい方法は、運転手の意見を聞くことだろう。

踏切の前で、何が安全で何が危険なのかと、僕は立ち止まり考えたのであった。
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by masagorotabi | 2011-03-24 20:30 | 雑想 | Comments(2)

養分

少し前の読売新聞に、直木賞を受賞した道尾秀介氏の話が載っていました。
作家にとって、何が大切なのかと書かれているのですが、以下要約したものを記してみます。

「では小説家にとって、練習とはなんだろう。
 他人の本を読むことだろうか。
 パソコンや原稿用紙に向かってたくさんの小説をかくことだろうか。
 一日かけて十枚の原稿を書き、翌日になって五枚まで削りーそのときに削られた五枚こそが練習だったのだろうか。
 いずれも正解に違いない。 
 しかし、もっと必要なものがあると僕は思っている。

 自分以外の誰かとふれあい、たくさんの養分をもらって大きくなり、それまで見えなかった知らない景色を見せてもらうという生き方が、性にあっているのだ」(読売新聞より)

 自分にとって養分とはなんだろうと考えることがあります。
 食べ物であればタンパク質、ビタミン、などなど人間にとって必要不可欠な栄養素ということになるのだろうか。

 何もしていないことが大事なことであったり、無意味なことが重要なことであったり、ただぼけっとしていることが、栄養を一番吸収している時であったりすることもあると僕は思う。

ただ、栄養を取ることだけでなく、自らが栄養を与える立場になるということもある。
作家というのは、そういった立場の人たちだと思いますが、作家に限らず、人間として生まれたならば、是非そういった立場になってみたいものである。
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by masagorotabi | 2011-03-07 21:07 | 雑想 | Comments(0)