「許されざる者」を見る

クリント・イーストフッド監督、主演の「許されざる者」を見ました。
今更ながらという作品ですが、初めて見ました。

元極悪非道の主人公が、賞金稼ぎに出ます。
昔の仲間と連れ立って賞金相手を殺し、賞金を手にしますが、仲間が殺されてしまいます。
ここから復讐劇が始まります。

元極悪非道という設定が面白いですね。
結婚もして二人の子供ももうけますが、妻は3年前に亡くなくなっています。

人を殺すということはどういうことなのか、弱い者がないがしろにされるということはどういうことなのか、復讐とは、そんなことを考えされられました。

時には人は「許されざる者」が必要なのかもしれません。
日本では、その役割は「おそれ」という妖怪や化け物が担ってきたように思います。

人が物質社会で養ってきたものは、銃という殺人兵器だったのかもしれません。
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# by masagorotabi | 2011-03-02 19:36 | 映画 | Comments(0)

落書き

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落書きをしていると、老若男女を描こうとしてしまいます。
それが僕のバランス感覚なのだなと思います。

絵というのは正直で、嫌いな表情の顔を描きませんね。
それは、鏡を見て理想の表情をしている時の自分に似ています。
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# by masagorotabi | 2011-02-27 18:45 | 落描き | Comments(0)

基本的に「告白」を見る

映画「告白」を見ました。

幼い娘を教え子に殺された女教師の復讐劇ですが、これでもかと言わんばかりの行為に痛快な気分さえ感じることが出来ました。
実生活では出来っこない復讐をこれだけ鮮やかに描いたのは、「モンテ・クリスト伯」ぐらいでしょうか。

自らの行為に嗚咽するシーンがありますが、その後、スッと立ち上がって「ばっかばかしい」とつぶやく場面が印象的で、ラストの台詞も、理不尽に我が子を殺された怨念を感じずにはいられません。

僕は、死刑制度は基本的に反対ですが、基本的にという部分をのぞけば、この女教師の心情は理解できます。
人はズルクて嘘をつく、復讐というものだけが真実をついているような気もします。
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# by masagorotabi | 2011-02-23 22:15 | 映画 | Comments(2)

「青い鳥」を見て

重松清原作映画「青い鳥」を見ました。
原作は読んでいますが、村内先生役が阿部寛さんでイメージ的にちょっと違うかなと思いましたが、すんなりと物語の中へ入ることができました。

自殺未遂をした生徒が転校をしたあとのクラスに、代理教員として村内先生が勤めます。
先生には吃音という障害(?)あり、過去の出来事によって深い傷も抱えています。

他者をいじめたり踏みにじるということはどういうことなのか、それは忘れて一から出直すことではなく、そのことを背負い責任を持って生きることだと諭します。

先生の澄んだ清々しい目の向こうには、かつての教え子の不運があるのだろう。(作品には詳しくは描かれていない)
先生もまた責任を持って生きているのであろう。

僕はいじめというのは、殺人的行為だと思っていますが、被害者は一生深い傷を負い忘れず、加害者はそれを責任として背負って生きていかなくてはならない。
どちらにしたって、これほどの不幸なことはない。
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# by masagorotabi | 2011-02-16 22:04 | 映画 | Comments(0)

睨めつける人たち

暴走自転車への批判がありますが、自転車を取り締まるよりも、自動車が横断歩道を渡ろうとしている人たちがいたら一時停止をして渡らせてあげる人が増えた方が、自転車を取り締まるよりも効率よく暴走自転車が減るであろうと思うのは僕だけであろうか。

押しボタン式の横断歩道での出来事です。
反対側にはスーパーマーケットがあります。
そこから出ようとしている配送のトラックが一台待っています。

僕は押しボタンを押して、信号が青に変わるのを待って渡ろうとしていましたが、黄色の段階でトラックは右折をして目の前を通り過ぎました。
その時に運転手が僕を睨めつけました。
同じ様なことが2度も続いたので、人間とは同じ様な思考を持っているのだなと関心しました。

このような場合は、歩行者が優先されるのですが、トラックは交通法規を無視し、アホ面で睨めつけていくとは、僕にとっては踏んだり蹴ったりです。
おそらくトラック運転手は、自分が仕事だから優先されてもよいと考えたのかもしれません。

それでも自分が悪いことをしたと思ったのか、軽蔑の眼差しで視姦されるという屈辱に耐えられなくなって僕を睨みつけたのかもしれません。

これはこのトラック運転手に限らず、日常にも出くわすことですが、人間はだんだん恐い人間に変貌し、なおかつ何もしていない人たちを威嚇する行動も伴う。

いつの時代も善良な人は受難者となる。
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# by masagorotabi | 2011-02-15 19:12 | 雑想 | Comments(0)