ペーパーボーイズバッグ

「人はパンのみでは生きられない」とは、聖書の言葉だったと思うけども、本来の意味はどういいうものなのだろう。

別ブログにも書きましたが、ペーパーボーイズバッグとは、アメリカの新聞配達少年が配る時に持つバッグのことです。

貧しさの中で新聞を配っていた少年もいただろう。
大人になり、経済も豊かになり、美味しいものも腹一杯食べられるようになった。

しかし、何かが物足りない。
足らないものは、どこにあるのだろう。
お金、権威?

今の僕は、それはペーパーボーイズバッグの中にあったのではないかと思っている。
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# by masagorotabi | 2010-08-20 23:31 | 雑想 | Comments(0)

静かな足音

「新聞記者(疋田桂一郎とその時代)」(朝日新聞社)を読む

『「管理職にしては惜しいと考えられていた大記者」疋田桂一郎。
 鋭い批評眼からの的確な洞察で知られる彼は、どのような記事を書き、そのようなコラムを残し、そして新聞報道についてどのように考えていたのか。・・・』(裏表紙より)

天声人語(1970年代)も3年程書き、こうしたものを残しています。
『「市民の皆さん、騒音の苦情をどんどん申し出て下さい。違反者に科せられた罰金の25パーセントを賞金として差し上げます。賞金は最高15万円です」と、こういう珍しい、痛快な条例がニューヨーク市で決まった。
 記事を読んで、あるいは「ニューヨークって、それほど騒々しい町なのか」と思ったかもしれないが、そうではない。東京よりも実は静かなのだ。しかも、こんな苦情奨励金まで出して「町をより静かにしましょう」と市民の協力を求める。大胆な着想がすばらしい。
・・・・・
 戦前の調査で、住民が苦痛を感じる騒音のひとつに「通行人の足音」があったそうだ。
 これが本当で、今の都会人の耳は騒音に慣らされて一時的に変になっている。日本人が静かさの値打を知らないわけではない、と思いたい。』(本文より)

動揺、ゆらぎを持った新聞記者なのだなあと思いました。
時には、自動車の横暴さに怒り、時々、ぶらぶらと地下道を歩く。

しかし、その筆跡は光と影を鮮明に描く、お天道様のような記者なのかもしれない。
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# by masagorotabi | 2010-08-02 21:06 | Comments(0)

青い鳥のゆくえ

「成熟日本の進路」(波頭亮著  ちくま新書)を読む

『近年目にしたアンケート調査で心に引っ掛かったものが二つある。
 「自分は幸せだ」と思う人の比率が世界一のデンマーク。
 「自分で生活できない人を国が助けてあげる必要はない」と思う人の比率が世界一の日本。
 なぜこんなにも違うのか。』(まえがきより)

「自分で生活できない人を国が助けてあげる必要なない」と思う人の割り合いは、どの国も10パーセント弱であり、アメリカは27パーセント、日本は38パーセント。
しかし、アメリカの場合は一人当りの割り合いでは、日本人の40倍もの寄付をしているそうです。
(ちなみに、デンマークの一人当りの収入は日本人の1.5倍、税金は7割以上とのことです)

日本人のこうした気分というのは、社会の雰囲気を形成してしまうわけで、自らの首を絞めているような行為でしかないと思ってしまいます。

被害者意識が強く、それが性質(たち)の悪い加害者になっているという悪循環。
自分とは違う人たちを見ても、その違いを面白さに転化することはなく、不機嫌さで差別、排他的になって敵意をむき出しにしてしまっているのではないだろうか。

「他人の不幸は蜜の味」と感じてしまうのは、まだまだかわいい方で、自らの行為、言動で相手を踏みつけたりバカにしたりして不幸にさせたりすることは、救いようのない蛮行としか思えない。

国民の多くが、自分は幸せだと胸を張って言い切る時代は来るのだろうか。
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# by masagorotabi | 2010-07-28 20:46 | Comments(0)

クサイものには蓋をしろ

テレビはあまり見る方ではないですが、CMを見ていたらちょっと気になることがありました。
「クサイ」という言葉が頻繁に使われることに関してです。

視聴者に、強迫観念を植え付けて商品を売ろうという魂胆なのだろうけど、この言葉はいじめの時に使われることが多い。
「キモイ」という言葉と同様に、常套文句化している。

そういう言葉を電波に乗せて発するということに、違和感を感じたわけです。
クリエイターが、好んでこういた言葉を多用しているとは思わないけれど、もっと美しい言葉で商品の良さを伝えることはできないのだろうか。
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# by masagorotabi | 2010-07-15 20:14 | 雑想 | Comments(0)

永遠の未完成

NHKの「日曜美術館」という番組をたまたま見ていた時に、長谷川りん二郎のことが特集されていました。
探偵小説家であり画家であったのですが、お金や名誉のために絵を描くのではなく、あくまでも好きであるから絵を描きます。

その画風や書き方も独特であり、その対象をよく見て、時間をかけて描いていきます。
だから、何年もかかったり、完成しなかったりします。

解説者が言っていましたが、りん二郎の絵の中の対象物は、みな平等であり、それだから見る人の平衡感覚を養っているのかもしれません。

昨日の「日曜美術館」は、葛飾北斎の特集でした。
80歳になっても、ネコ一匹描けやしないと娘に嘆いたそうですか、食べることよりも絵を描くことが好きだった北斎もまた、画家としての執念を感じます。

ネコで思い出しますが、りん二郎の絵で一番有名なのは、ネコの絵です。
ですが、そのネコの絵には片方のヒゲがありません。
飼い猫が死んでしまったからです。

未完成なのか、それとも未完成だからこそ完成された絵なのか、それは静ひつの暮らしの中で、絵を見つめていたお二人にしか分からないことなのかもしれません。
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# by masagorotabi | 2010-07-13 20:46 | 雑想 | Comments(0)