市川準監督の「あしたの私の作り方」という映画を見ました。
小学生高学年から高校一年までの女の子を主人公にした物語です。 どんな世代にも悩みというものはあるもので、いじめる側、いじめられる側、いじめられないように静かにいる者、いろいろな思惑があります。 最近のニュースで気になったのは、死刑制度に賛成する人が8割いるということです。 キリスト教徒国家であれば逆転する数字ででしょうが、日本人というのは身内には厳しいというか、排除思想がちょっと怖いなと思いました。 もちろん個人の考え方は尊重しますが・・ 昨年、取手でバス無差別傷害事件がありましたが、事件を起こした青年は高校時代にいじめを受けていたそうです。 卒業文集には、未来に事件を起こしそうな人No1 ということにされたそうですが、未来を予測したというより、この人たちがそのように追い込んだのだと僕は感じます。 ですから、このクラスの人たちの一部もこのような事件の加害者であって、事件を起こした人とともに意識、無意識でかかわらず背負っていくのだなと思います。 (少々、乱暴な意見ですが) 自分の生活の中には楽しいことが秘められていて、でもその中には苦悩ということも表裏一体のようにつきまとう。 だから、楽しいことを素直に受け入れられない臆病者になってしまう。 あしたの自分をどう作っていったらいいのだろう。
by masagorotabi
| 2011-01-27 20:49
| 雑想
|
Comments(0)
|
もうひとつのブログ
カテゴリ
最新のコメント
ブログジャンル
|
ファン申請 |
||